うちの会社では、会社の研修の一貫で、1年間外国で語学を習得するために留学させてくれるプログラムがある。
そのプログラムに魅力を感じて入社する社員も少なくない。
むしろ、我々商社部門に入社している社員としては、ほぼ100%と言っていいほど、
このプログラムへの選抜に引っかかることを狙っている。
実は、2015年〜2016年の間に私もそのプログラムに奇跡的に選ばれ、
一年間(と言われているが実際は10ヶ月)、アメリカオハイオ州シンシナティという田舎の街で語学研修をしていた。
その時のことを全く文字として残していないことに気がつき、
今から遡って記憶を呼び起こし、ここに記して見てみたいと思う。
入社11年目となった今の私、留学したのは入社6年目〜7年目の時。
この一年間でそれなりに英語で生きることができるようになって、
その後の人生が“超劇的に“変わったため、その時期に私の人生で何が起こったのか記しておこうと思う。
なぜ俺?
2015年突然当時の部長と課長から呼び出される。
「私さん、留学決まったよ。アメリカに」
その時の自分の率直な感想としては、
「俺が?」
と、正直驚いた。
なぜなら、語学留学先は、アメリカ、中国、ヨーロッパ、韓国、と多岐に渡るがそこは自分では選べない。
また、時期も選べない。
それは会社の都合でほぼ決まる。
僕もまさか、このタイミングでやってるとは思っていなかった。
しかも、「いくなら絶対英語圏がイイ」と願っていたので、
正直願ったり叶ったりだった。
仕事もプライベートも絶不調
当時はプライベートでもかなり絶望していた時期で、
仕事も、実は中々上手くいっていなかった。
だから俺は、
「一旦アメリカで頭冷やしてこい」と、
会社も言っているんだろうと、
ちょっとだけ内心ネガティブにも受け取っており、
半分、営業部隊からの戦力外通告的な印象を受けてて
「もうここには戻ってこないかもしれない・・・」
と実はセンチメンタルな思いを持ちつつ準備をしていた。
でも、
「自分の人生を大きく変える最大のチャンスが到来した」
「一番自分が身につけたい力を身につける最高のチャンスがきた」
という思いが勝りその時を待った。
その後、少しつづ引き継ぎと準備が始まる
その後、弊社海外統轄部から、突然今後の段取り的な連絡がきて、
一緒にアメリカにいくメンバーと顔合わせし、
大体誰が一緒に行くのかわかった。
その当時のアメリカ研修組は13人ほど?
13人も一緒にアメリカに行くのは初の試みらしい。
一番良かったのは、「入社から一緒に当時の部署で生え抜きとして頑張ってきた同期K」と
一緒にアメリカにいくということ。
「ここでも一緒か!」とご縁を感じたものがあった。
出発は2015年11月。
2つの組に分かれて、まずは、成田からニューヨークを目指す。
13人の中にも既に知り合いが多数
非常に助かった。
なぜなら、そのメンバーの中にはもう顔見知りが結構いた。
- 同期K(ウィスコンシン州 Milwaukee)
- 後輩M(インディアナ州 Indianapolis)
- 後輩K(コロラド州 Denver)
- 私(オハイオ州 Cincinnati)
この4人は既に知り合いで、これから10ヶ月切磋琢磨をすることになる。
2015年11月
その日はやってきた。
同期K、後輩Mの便が出発(我々は翌週)
ニューヨークの写真やホームステイ先に到着した!などの写真や情報が送られてくる。
先に行った同志たちの楽しそうな写真を見ながら心を躍らせる。
アメリカに出発する前日、
約束していた床屋に行く。
床屋友達「どうする?」
私「坊主で」
床屋友達「マジでいく?笑」
私「やっちゃって。もう会社の人とは合わないから。いっちゃって!」
床屋友達「OK!」
その後その友達と日本最後の二郎系ラーメンを食べて、
その足で成田空港に向かった。
・・・・・・・
・・・・・
・・・
出発する日がやってきた。
成田空港で後輩Kと待ち合わせし、
11月16日午前成田発ニューヨーク行きの便に搭乗した。
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成田で待ち合わせた後輩K・・・・
後輩K「・・・・・私先輩?笑??(坊主?笑?)」
私「・・・・やっちゃいました」