2023年02月12日の備忘録
日本に向けて出発する
1月28日ケニアのナイロビからインドのムンバイに向けて出発する。飛行機が4時間半遅れ、深夜2時にムンバイの家に着く予定が、まさかの朝8時に到着する。かなり疲れた出張となった。
そして、ムンバイに到着後、2日間、ムンバイで仕事して、その後、1月31日日本へ向かう。ケニアでは、JICAとの取り組みで、ケニアでの養蚕事業の実証調査を行ったが、今後は日本で、フィッシングビジネス関係、医薬品化学原料関係、及び、魚網関係ビジネスの仕事をする。
釣具ビジネス
日本へはインドの釣具ビジネスのお客様と、大阪で行われるフィッシングショーに向かうのだ。インドのお客様というのも、インドの中では重鎮。まだまだ未熟な産業ではあるものの、市場が未熟なうちに、業界のトップとコネクションを持っているってことが、将来的に大きな意味をもたらすと信じている。風貌的には、相当異色。日本の事務所を訪問した際には、相当浮いたに違いない・・・今回の出張の際には、コロナもあって、本来インドで会うべき人達とも、インドで中々会えず、満を辞してこの度まとめて全員とちゃんと再会することができた。これが最も価値のあることだった。
釣具ビジネスが終わったら・・・
大阪フィッシングショーが終わったら、私は、その後一人鹿児島へ。鹿児島では、釣具ビジネスではなく、養殖の網に関する飛び込み営業をする。鹿児島、宮崎、熊本を周り、インドで生産されている魚網が、日本の市場にマッチしているかどうか、養殖業社を一軒ずつ自分の足で回って、養殖業界の把握とこのビジネスの将来性の肌感を得るのだ。
それが終わったら一路、実家の山形へ。
ムンバイには、2月15日に戻る。一回の出張に悔いを残さず、全部全力でやったるわい。
大阪フィッシングショー
大阪フィッシングショーは、世界でも2番目に規模が大きな釣具の展示会と言われており、日本の有名ブランドがこぞってブースを並べる。コロナ明け3年ぶりの開催ってこともあってか、世界中からディーラーや業者が集まってくる。我々もすべてのブースを回ってインド市場に可能性がありそうなブランドを模索する。将来的に、日本のブランドをインドにさらに輸入し、インドでのスポーツフィッシングマーケットを開拓し、インド市場を席巻していくのが我々の夢だ。
魚拓を体験
今回一緒に来ている「ジョニーデップ」みたいな風貌のインド人、Mrデレックは、インドNO1の釣具屋のオーナーだ。それと同時に彼の個人的な趣味で、彼はアーティスト活動的なこともやっている。よく自分で絵を描いたり、彫刻を作ったりするナイスガイ。以前、「日本の和紙」で絵を描いてみたいってことで、日本から和紙を取り寄せ、彼にプレゼントをしたこともある。すると、今回の展示会の中で、「魚拓体験」をしているブースがあり、彼がそれに興味をもった。日本に来る前から、魚拓を一度はやってみたいとずっと思っていたようだ。ただ、フルパワーで日本語での説明ってことで、私の通訳が必要となり、一緒に魚拓体験について行った。
今までの人生で、そして、これからの人生の中でも「魚拓」を学ぶ機会なんて、ほぼほぼ無かっただろう。だた、これは歴とした日本固有の文化。さらには、日本最古の魚拓は、私の故郷山形県に保管されていることも知り、それをやってみようとトライしているインド人を横目に、日本古来の文化の価値に無知な自分が少し恥ずかしくなった。海外を知りたいってことで、外へ外へ出て行こうとして来た人生。ただ、ここに来て、日本の文化をもっと知らなければならないと思った。
魚拓教室は約1時間。そこで受けた説明は、「なるほど・・・そういうことか・・・」と息を飲むようなテクニックばかり。日本のものづくりの精神がかなり詰まっている。一言では説明できない。美しく、魚をプリントするための絵の具の塗り方、筆の使い方、紙の置き方・・・全てが職人芸だ。
魚拓が完成。教えて頂いた魚拓の先生も、「中々筋がある」とお褒めのお言葉も頂いた。そして、何を感動したかっていうと・・・・
私「デレックさん!よかったですね!夢が叶って!!」
魚拓先生「いやー初めてにしては、とても筋がいいですよ!」
デレック「ありがとうございます。皆さんのおかげです!」
私「よし、デレックさん。これを額に飾って、デレックさんのショップにはらなきゃね!」
・・・・・・・
・・・・・
・・・
デレック「これは・・・私さんへのプレゼントです・・・」
私「え?」
デレック「前に言ったでしょ。私が最初に作った魚拓は、あなたのために書きますと」
・・・・・・
・・・・
そう・・彼は、私に約束していたのだ・・・。前、私が日本の和紙をプレゼントした時に、彼はそう言っていた。確かにそう言っていた・・・
私「デレック・・・・マジっすか・・・有難う・・・・」
こいつ・・・・
にくすぎるぜ・・・・正直マジで泣きそうになった。こんな記念すべき、かつ日本で、先生に教えてもらった彼に取って大きな一枚を。私のために書いていたのかと思うと、胸が熱くなった。こいつ・・・マジでいいやつすぎだろ・・・
デレック・・・
有難う。
実家に飾らせていただきました。
大阪から名古屋へ
そして、我々は大阪から名古屋へ移動。名古屋では、医療薬品の中間体化学原料のプレゼンをし、今回の大阪フィッシングショー出張、及び名古屋での商談を終えた。ここから、私とインド人は別行動となる。私は、名古屋から鹿児島へ飛ぶ。鹿児島では、別案件「養殖場の魚網」の飛び込み営業だ。人生初の鹿児島。これはこれで楽しみだ。初めての商材ではあるものの、とにかく現地に飛び込んで、現地の声を自分でキャッチしたい。どんな冒険が始まるのか、ワクワクするぜ。
続く