過大視本能:「目の前の数字がいちばん重要だ」「目の前が数字が全てだ!」という思い込み
人はみんな、物事の大きさを判断するのが下手くそだ。人々は、「身近なただひとつの事実」を、「自分の視界に入らないその他の事実」よりも重要だと捉えがちなのだ。例えば医療リソースの少ない地域では、医師が目の前の患者に死力を尽くすより、衛生観念を周知したほうがより多くの命を救うことができる。目の前の事実を過剰に重要だと思い込まず、よりよい結果を得るためには、数字を比較したり割合を把握したりすることが重要だ。
FACTFULNESS
炎上の積極的参加者は4万人中たったの……
非難が殺到し、瞬く間に広がっていく「ネット炎上」。その連なる書き込みを見ていると、国民の大半が怒っているような印象を受ける。しかし、実態はどれだけの人がそのコメントをしているのだろうか。芸人のスマイリーキクチ氏は、「殺人事件の犯人」というデマを長い間流され続け、中傷者が検挙されたがその人数は実は19人。約4万人のインターネットユーザーを対象にアンケート調査を行ったところ、直近の1年間で炎上に参加した経験のある人は約0.7%。また、「インターネット人口が約4000万人」「年間の炎上件数が約200件」「1人が平均して2度の炎上事件に参加している」の条件で推定すると、1つの炎上事件に書き込む人は数千人程度と見積もれる。さらにその多くは、ニュースの見出しをコピペし、「これはひどい」とつぶやいて溜飲を下げる程度で、当事者のサイトに直接攻撃を加えるような、極端な炎上加担者ではない。
まるで世論のように見えてくる
一方で、執拗に書き込む人も存在する。先ほどの調査では、「過去1年で、11件以上の炎上に参加して、1件あたり51回以上書き込んだ」という人が4万人中7人だけいた。調査チームが「スーパーセブン」と呼ぶ彼らの意見が、まるで世論のように自然と見えてきてしまうのが、この「過大視本能」。目の前の事件や事柄がこの世の全てに共通するような感覚になる。
メディアに注意
「インドで事件が起きた!」「中国でとんでもないことが!」「危ないね〜!」「そっちは大丈夫かーーー!!!?」ってのが、TVの前の日本の人達だとすれば、現地にいる我々からしてみたら、「そんな事件どこで起きてるの?笑」「あーそれ、ここから2000キロ先で起きてることだから・・・」って感じ。メディアがごく一部の問題をピックアップし報道しているにもかかわらず、それをみている人は、その国全土で起きている問題かのように錯覚してしまう。これも「過大視本能」の特徴。
ビジネスでもそう
マーケットリサーチをする。数字で分析される。とある結果が出る。その結果は「到底このビジネスが難しそうな」予測が出る。そして、こう思う。
「辞めよう」
「これはやっても意味がない」
「結果は見えている。」
「こんなのに着手しているなら、他を探そう」
ちょっと待て、果たしてそうか。
目の前の一個のマーケットリサーチがあたかも不変の真実のように受け止められ、
まだ始まってもいないのに、「辞める」決断をする。
これも「過大視本能」。
今、あなたが見ている目の前の数字は、とある角度からみた単なる数字に過ぎない。
それが「不変の真理」なんてありえない。
この場合の「正解」は、その仮説のもと、低リスクでまずはやってみることだ。
「辞める」のは、その後でも遅くはない。
ん・・・?
辞める?
てか・・・
始まってなかった・・・