JFKに降り立つ
2015年11月16日
俺はニューヨークのJFK空港に降り立った。
後輩のKくんと一緒に降り立った。
これから2日ほど、ニューヨークでアメリカ支店長にご挨拶をし、ここで土日を過ごして観光をする余裕が与えられる。
後輩K「私先輩・・・我々ニューヨークでの休日・・・・何します?」
私「そうだな・・・・とりあえず・・・・セントラルパーク行って早朝ランニングするぞ!!!」
後輩K「なんでですか?笑」
私「それっぽいからだろ!」
後輩K「先輩・・・・走るのは気持ちいんですが、靴がそれ用じゃないんで、足がめちゃ痛いっす・・・」
私「え?笑」
ニューヨークでのランニングと観光を済ませ。。
ニューヨークでの2日間は、後輩Kと案外2人でいい時間を過ごした。
ブルックリンブリッジ、セントラルパーク、タイムズスクエア、そして、ワールドレードセンター(グランドゼロ)を訪問。
ワールドトレードセンター跡地では、当時のテロの勉強をするために訪問はしたものの、
書いてある英語がさっぱりわからない・・という問題に直面。
後輩K「先輩・・・これ・・・・我々がアメリカを出るときには、ちゃんとわかるようになってるんすかね?笑」
私「当たり前だろ・・・俺たちが超えなければならない壁を噛み締めよう・・・笑 にしてもむずいぞこれ・・笑」
後輩K「はい・・・・」
出発の時はやってきた
いざ、その時はやってきた。
後輩Kはデンバーへ、私はシンシナティへ向かう。
私「またな・・お達者で・・・」
後輩K「はい・・・また数ヶ月後合流しましょう!」
私&後輩K「では!!また!!!」
同僚K、後輩M、後輩K、そして私の4人のラインで情報交換しよう!!!
と最後の別れを告げ、
私はシンシナティへ飛び立った。
シンシナティについた
シンシナティ空港では、
エージェントらしきオッサンがボードを持ってお出迎えしてくれた。
拙い英語でなんとか会話をし、
そのままホームステイ先へ・・・・
ドキドキ・・・・
一体どんなホームステイ先と出会えるのだろうか・・・
留学がどっちに転ぶかってのは、
ぶっちゃけホームステイ先の良し悪しに左右される。
しかも、そのホームステイ先は自分では選ぶことができない。
いわば、運次第。
ホームステイ先到着!
サラ「へえええーい ウェルカーーーむ!!!」
私「ウェーーーーい!!!!!」
ステイ先のサラさんが僕を迎えてくれた。
軽く挨拶を交わし、お土産を渡した。
家族構成は、
- パトリック(おじいちゃん)
- ブレッド(パパ)
- サラ(ママ)
- アイヴァン(長男 当時12歳くらい)
- ヘンリー(次男 当時10歳くらい)
- サム(三男 当時8歳くらい)
- レズィー(長女 当時4歳くらい)
の7人家族。
アメリカ人の子供めっちゃ可愛いと驚愕したのを覚えている。
今でも覚えているのは、
当時4歳のレズイーに、日本のお寿司の消しゴムをプレゼントして、
「それを食べちゃダメだよ!」と英語で言ったことが、
ホストファミリーにバカうけしたことだ。
その時、
「俺のギャグセンスは、アメリカでも十分通用する」と
悟った。
ホストが最高だった
こちらのホストとは、結果的に10ヶ月同じ時間を過ごすことになる。
パトリックじいさんと、毎晩2時間英語でギャクをかまし合い、
アイバンからは、「マインクラフト」をやるように毎晩勧誘をうけ、
ヘンリーからは、「空手」を見て欲しいと言われ、
サムとはレゴブロックに毎晩誘われ、
レイジーとは毎晩おままごとを誘われる日々となる。
ホストファミリーからは、ビッグブラザーとして受け入れられ、
それはそれは最高の十ヶ月を過ごした。
全く遠慮することなく飯を食いまくり、子供と遊び、アメリカ人とキャンプに行っては孤独を感じたり、毎週土曜日教会に行ってお祈りをした。(何言ってるかは、10ヶ月後でもさっぱりわからなかったが・・・)
英語の習得のために、何かをインプットしたかと言われると疑問が残る。しかし、英語で生きていく術を、アメリカ文化とともにこの家族が僕に教えてくれた。
そう、
「ノリやユーモアがあれば言葉は関係ない・・・」
ってことを。
英語がスラスラ言えなくても、アメリカ人を笑かせることができる。言葉はちゃんと伝えられないまでも、アメリカで十分楽しく過ごせることは身を呈して分かった。
そりゃー10ヶ月も毎日遊んで一緒にいれば、この家族とはもう本物の家族同様。シンシナティのこのホームステイ先は間違いなくアメリカの第二の故郷となった・・・・
写真は僕が日本に帰る前夜の写真。
4歳の長女のレズイーが何かを悟り、泣きじゃくっていた。写真を撮る時に我慢して、泣き顔を隠しているのがこれまた可愛らしい。
懐かしきホストファミリーよ。
コロナが明けたら、彼女と一緒にまた遊びに行きますよ。
さて、明日はついに語学学校へ
時差ボケの調整なんて、全くそんな時間を与えられることもなく、ステイ先に到着した翌日には朝早くに語学学校に行って入塾試験を受けなければならない。
明日は6時起き。
もう寝なければ。
俺のシンシナティ生活が幕を開けた。