人の才能は3種類ある
人間が抱えるほとんどの悩みは一緒だと著者は述べる。
それは
『 自分のコントロールできないことを、無理やりコントロールしようとすること 』で、ストレスがかかる。
たとえば、以下のようなものが挙げられる。
- 仕事で部下が言うことを聞かない。
- 相手の気持ちをおろそかにして、無理やり話を進めようとする。
- 自分の外見や家柄を理由に、できない理由を語る。
そして、人間が一番コントロールしたがるけど、実際は上手くいかずに、一番の悩みのもとになるものは『 自分の才能 』だと言う。
つまり、人が一番思い悩む根本は、
『 自分の才能をコントロールしようとしたとき 』らしい。
思い当たる節はないか。
- もっとカッコよく生まれたら
- もっとお金持ちに生まれたら
- もっと器用だったら
- もっと賢かったら
- あと5センチだけ背が高ければ
などなどだ。
与えられた才能を変えることはどうしようも出来ない。
しかし、著者は悲観する必要はないという。
それは『 自分の才能に気づいていないだけ 』らしい。
人の才能は、
「 創造性・再現性・共感性 」
の3種類で分類できる。
そして、著者はそれらをさらに、
「 天才・秀才・凡人 」と分類する。
- 独創的な考えや着眼点を持ち、人々が思いつかないプロセスで物事を進められる人(創造性)⇒ 天才
- 論理的に物事を考え、システムや数字、秩序を大事にし、堅実に物事を進められる人(再現性)⇒ 秀才
- 感情やその場の空気を敏感に読み、相手の反応を予測しながら動ける人(共感性)⇒ 凡人
凡人が天才を殺す理由
世の中には、天才と呼ばれる人がいる。
天才は、この世界を良くも悪くも、前進させることが多い。
しかし、彼らは変革の途中で、殺されることも多い。
それは物理的な意味も、精神的な意味も含めてだ。
と、筆者がいうその理由のほとんどは、
『 コミュニケーションの断絶 』によるものであるようだ。
これは『 大企業がイノベーションを起こせない理由 』と全く同じ構造だと語られている。
組織には、天才が率いる時代がある。
しかし、その時代が終われば、次は秀才が率いる時代が来る。
そのとき、組織は凡人が天才を管理する時代に突入する。そして、天才は死んで『 イノベーション 』を起こせなくなる。
天才の役割とは、世界を前進させることである。
そして、それは『 凡人 』の協力なしには成り立たない。
なぜなら、『 商業的な成功 』のほとんどは、大多数を占める凡人が握っていることが多いからだ。
どういうことかというと、
スティーブ・ジョブズがiPhoneを生み出した当初は、スマートフォンなんてそんな機能は不要。ガラケーで十分と思っていて、一部のマニアのみが並んで手に入れていた。この時はまだ、iPhoneが今のネットワーク社会のインフラになるとは思いもしなかった凡人と、それが見えていた天才スティーブ・ジョブズ。
その後、iPhoneが発売されてからは、アップル社の秀才たちがiPhoneのプロモーションを続け、iPhoneでアップル社が利益を出しまくった時には、すでに数多くの凡人達がiPhone販売と製造の仕事を手がけ、iPhoneが価値のあるものとして一般大衆化した。つまり、商業的な成功とは、凡人が手掛けるものであって、きっかけを創造した天才ではない。
凡人 からみた天才への気持ちは冷たいものだ。
というとは、
凡人は、成果を出す前の天才を認知できないので、
できるだけ排斥しようとする傾向にあるからだ。
天才は、凡人にとって、
コミュニティの和を乱す異物に見えるようだ。
この『 天才 ⇔ 凡人 』の間にある『 コミュニケーションの断絶 』こそが、天才を殺す要因である。
天才が一生懸命世界観を語っても、凡人にはそれが見えていない。
話しても伝わらない状況が生まれる。
多数決は「天才を殺すナイフ」
天才は『 創造性 』という軸で、物事を評価する。
対して、秀才は『 再現性(≒論理性)』で、
凡人は『 共感性 』で評価する。
より具体的に言うと、
天才は『世界を良くするという意味で、創造的か』で評価をとる。
一方で、
凡人は『その人や考えに、共感できるか 』で評価をとる。
つまり、天才と凡人は『判断軸』が根本的に異なる。
本来であればこの『軸』に優劣はない、ただ性質が違うだけなはずだ。
だが、問題は『人数の差』にある。
人間の数は、凡人>>>>>>>>>>>天才。
つまり、数百万倍近い差がある。
だから、その気になれば、天才を殺すことはきわめて簡単である。
歴史上の人物で、最もわかりやすい例は、イエス・キリスト。そして、それはビジネスにおいても同じ。
AirbnbやUber、iMac のような革新的なサービスが一番最初に生まれたときは、
なんじゃその訳わからんものは?
今あるのか?
採算性はあるのか?
利益は出るのか?
と、
常に『 凡人によって殺されそう 』になることがほとんどだった。
その理由は、
凡人は成果を出す前の天才を理解できないからである。
凡人には武器がある。
天才を殺すことができるナイフを持っている。
そのナイフの名は『 多数決 』だ。
実はこれが、
大企業でイノベーションが起きない理由と同じ。
天才の世界を見えていない大多数の凡人が、
多数決によってそのアイデアを殺すことが起きている。
それは、儲かるのか?と。やる意味あるのか?と。
大企業でイノベーションが起きない理由
大企業でイノベーションが起きない理由は、
3つの『軸』を1つのKPI*で測るから。
*KPI(Key Performance Indicator)=重要業績評価指標
革新的な事業というのは、既存のKPIでは絶対に測れない。
例えるなら、それはアートのようなもの。
すべての偉大なビジネスは
『 作って⇒拡大させ⇒金にする 』
というプロセスに乗るが、
それぞれに適したKPIは異なる。
そのうち、『拡大』と『金にする』のフェーズのKPIはわかりやすい。
拡大は『事業KPI』で見られるし、
金を生むフェーズは『財務上のKPI』で
わかりやすく客観的指標で測ることができる。
しかし、問題は『創造性』。
言い換えれば『天才かどうか』を、
測る指標がないということだ。
本当に創造的なものは、まだ見たことないようなもの。
それは、はっきり言って
“定義なんてできない” もの。
正確に言うと、“直接” は定義できない。
しかし、唯一その天才的なアイデアを測ることができる。
それは、社会からの『反発の量』で間接的に測ることができる。
具体的には
『共感性の世界に生きる凡人からの初期の反発』。
そんなんできるわけねーよと、そんなのありえない、いみあるのか?
という反発の数が多ければ多いほど、
イノベーションのヒントが、そこに隠されているということだ。
本来、企業は破壊的なイノベーションを起こすには
『反発の量(と強さ)』
をKPIに置くべきだが、これは普通できない。
なぜなら、
大企業は『多くの凡人(=普通の人)によって支えられているビジネス』だからだ。
反発の量をKPIに置き、
イノベーションを加速させることは、
もし失敗したら不味いことになるという予測が、
結局打ち勝ち、自分の会社を潰すリスクと捉えられてしまう。
これが、破壊的イノベーションの理論(クレイトン・M・クリステンセン)を人間力学から解説した構造。
本書では、天才を救う唯一の方法として、
『天才・秀才・凡人の才能論』を挙げている。
2つの才能を掛け合わせた人物がコミュニケーションの断絶を防ぐ役割をしていると述べている。
たとえば『創造性と再現性』『再現性と共感性』『共感性と創造性』の組み合わせだ。
- 『創造性と再現性』:エリートスーパーマン⇒創造性あり、再現性・論理性あり、ビジネス大好き
- 『再現性と共感性』:最強の実行者⇒会社のエース。どこでも活躍するが、革新は生まない
- 『共感性と創造性』:病める天才⇒天才と凡人を橋渡し。構造的に捉えるのが苦手
さて、自分は才能の割合が大きいか。
著者はどんな人でも創造性・再現性・共感性のすべてを持ち合わせていると言う。
しかし、それぞれの割合の大きさによってその人の強みが変わってくる。
その強み(才能)をどう活かすことができるか。