ジムで歩きながら一冊読み終わったので、
ここに記録を残しておくとする。
今回読んだのは、言わずと知れたベストセラー。
堀江貴文著:多動力
多動力とは・・
多動力とは、
『猿のようにハマり、鳩のようにあきろ』
という言葉で表されるように、
自分の興味を持ったものにジャンジャン飛びついて、
ジャンル問わずにやってみる力。
何故なら、
『インターネットが、業界の垣根を取っ払った』ため。
今までは、
自動車業界ではトヨタや日産など、
その手の大手企業が業界を席巻していたが、
インターネットが出現したことにより、
いつのまにか、Googleが自動運転を開発すれば、
日産を相手にしていたトヨタは、
マークすべきは日産でもホンダでもなく、
いつの間にかGoogleになってしまった。
そもそも『車=移動の手段』であったわけで、
椅子が自動で動いてしまえば、
それは別に車で無くてもいい。
こんな感じで、インターネットの出現により、
京王百貨店のライバルは、伊勢丹ではなくAmazon、
フジテレビのライバルは、TBSではなくYouTubeとなった。
つまり、
とある業界からしてみたら、
昔では考えられなかった業界の外企業が、
インターネットがその壁を打ち壊してくれたおかげで、
突然ライバルとなって出現してきた。
そんな時代を生き抜くために必要な力とは、
一個の事に固執することなく、
次から次へと、
いいと思ったものに飛び移っていく力、
これを『多動力』と本書では定義付けられている。
昔は、
一つの企業に長くいる方が美徳、
石の上にも三年、
なんても言われていた、
しかし、
学歴社会なんてとうの昔の話、
トヨタ自動車が終身雇用終焉を示唆、
副業が当たり前、
大企業だから安定なんてのは幻想、
と、価値観は大きく変わった。
そんないまの時代では、
物事を100%極めずとも、
80点ぐらいに到達しておけば、
もう合格点。
そんぐらい分かったらさっさと次へ行け。
と、、、
職人気質の人からしてみたら、
そんな上っ面な知識しかない奴が成功するか!
と、怒られそうなことではあるが、
情報がいつでも得れる今となっては、
一個だけ凄いよりかは、
まぁまぁ凄いを沢山持ってた方が、
時代の変化に適応しやすい。
職人になる必要はない。
修行なんて、
YouTubeみて自分で自分で勉強せい!
などと、
職人魂が美徳として根っから持ってる日本人には衝撃的であろう。
『寿司職人が、卵焼きの焼き方を三年かけて習得するなんてナンセンス。有名料理人がYouTubeで多数やり方を載せてるから、それみて自分で勉強して店を出してしまえ』
というご本人のTwitterが炎上したらしいが、
別にこれは寿司職人を馬鹿にしたわけではなく、
現代の情報化社会のおかげで、
自分のゴールへ到達する道筋が大きく変わってきた
ということを伝えたかったのかもしれない。
1/100×1/100×1/100=??
自分は肩書きを何個持っているか?
堀江貴文氏はそう問いかける。
それは、この世で100人に1人の逸材に到達し、
その肩書きが一つ、また一つ増えていけば、
それは掛け算となり、
数万人に1人の逸材になっているよという考え方。
たとえば、企業で働いていれば、
営業も出来るし、経理も出来る、そして、人事もできる。
一つ一つは飛び出た才能ではなくても、
かけ合わされば、貴重な人材となる。
こんな感じだ。
大体、テストでもなんでも80点までは、
努力でなんとか到達できる射程圏内、
たが、80点より高く取るためには、
時間とセンスが必要になる。
なので、80点まで到達したら合格。
次にいけ。
そのかわりその80点という肩書きを
沢山持てば持つほど、
いつの間にか個人として貴重な人材へとなっている。
こんなことを言っている。
ただ、これは読み間違えると、
俺のような凡人からしてみたら、
手当たり次第やり散らかして
『多動力』つきました感を出しかねないとも思った。
そもそも、100人に1人って、
まぁまぁ、凄い。
なんせ、小学校の3クラスの中で1番になるってことだ。
なので、100人に1人の逸材、
とか
80点取ったら次にいけとか書いてはあるものの、
そもそもそこに到達するには、
一個一個結構時間を費やすなとも思った。
自分の特徴とはなんだろーか。。。
100人に1人の特徴を何個持っているだろーか。
自分の時間を取り戻す
『色んなことに飛びついてみる』
『100人に1人の逸材になる名刺を何個持つか』
この境地を追い求める為には、
時間が必要だ。
そーなってくると、こんな考えに至るだろう。
『そんな時間ねーよ』と。。
時間が必要と言われても、
24時間は皆に与えられた唯一平等なもの。
なのに時間が足りない。
そう。我々は、
『自分の時間』
を、取り戻す必要あり。
会議、
突然の電話、
通勤、
などなど。
実は、平等に与えられているようで、
誰かの時間に付き合わされている時間がほとんどである
というのが現代の日本人。
片道2時間かけて会社に行くのが当たり前
会議は取り敢えず1時間をキープ
来た電話は3コールで出る
こんなのが『当たり前』と思っていないか?
ヤバイ。。。
そう思っちゃってる私。。。
いやいや。
仕事をしてたらそういうもんじゃん。。
上が決めてるから変わらない。。
通勤時間はしゃーないだろ。。
こー思ってないか?
だから、時間がなくなるんだろう。
結果的に、
外的要因に左右されて自分は生きていて、
それをしょうがないと飲み込むことしかできない自分。
だから変わらんだろう。。
。。。。。。
。。。。。
。。。
すいません。。おっしゃる通りです。。。。
取り敢えず、何がここで言われているかというと、
『自分の時間』ってもんは、
本来他人に支配されるものではない。
ってこと。
やり方次第で、他人に支配されていた時間を、
自分の時間に取り戻す。
ここだ。
取り敢えず時間に対する考え方。