誰ですか?
誰しもが、そう思うだろう。
しかし、このブログの一部のコアなファンからすると、
『懐かしい』と歓喜の声が上がる人物である。本当に一部の・・・
1961年、福島県生まれ。著書に『評論・小説を読むための新現代文単語』(共著、いいずな書店)など。蓄音機をつかった音楽鑑賞の会や、学生・社会人のための読書塾「大人の現代国語」を開催するなど、文学や芸術の切実な意味を確認し、人生の伴侶とするための活動を展開している。
出会ったのは2005年。
僕が仙台の河合塾に通っていたときに出会った、『河合塾の現代文の講師』だ。
当時、山形の自分の高校の卒業生、大学受験に失敗し、一浪を決意した学生たちは、ほぼほぼ、仙台河合塾になだれ込むように入塾していった。
仙台で寮生活をする同志、そして中には片道1時間以上の通学時間を要して山形から仙台に通うという選択をしたものも数多くいる。僕もそのうちの1人。
そんな、受験生たちが、文系理系問わず、誰しもが「神講師」と認め、
毎日展開される彼の授業に、
何千人もの浪人生達が惚れ込んだ。
今ここで、15年の時を越えて、僕が彼のことを書く理由は、一つ紹介したいブログがあるからだ。
迷走録
http://take3meisouroku.seesaa.net/
2012年から彼の更新はなくなっているが、
このブログのネタを中心に毎日の現代文の授業が展開された。
内容は非常に難解で、哲学的。
しかし、当時の受験に必要な知識や考え方、そしていうなれば、人生においての重要な考え方の根底となるような題材。さらには、社会に問題を訴えかけるような文章がそこには明記されており、15年たった今ふと見返しても、合理的で納得の行く内容となっている。
当時は「mixi」というSNSが流行っており、そのミクシーのコミュニティーの中では、三浦先生の「迷走録」がUPされれば、在学生や、卒業生までも、その内容に対して、コミュニティー内で議論が行われたのは、今となっては本当に遠い昔の話。
「本を読め」「新聞を読め」とばかり言われた当時の高校時代の授業とは一線を画した、「現代文」と名乗った哲学の講義。
何度も言う。
内容は哲学。第三者からしてみれば、若干異常。
しかし、当時の浪人生達は、皆、「なるほど!」と、完全に飲み込まれていた。
そして、皆、各々の志望先に合格していったから名実ともに名講師と言われるのだろう。
その考え方のベースとなっていたのが、彼が2005年から書き続けていたこの「迷走録」というブログなわけだ。
元気かな・・・?
今こうしてインドの地に立って仕事をする。
三浦先生だけでなく、同時僕に教えてくれた小中高予備校の先生の中には、今の僕が、すでに当時の先生の年齢を超えてしまった人も数多くいる。
機会があれば、一度お会いして近況を報告してあげたいものだ・・・・
あのときはお世話になりましたと・・・
そして、三浦先生に一つだけ、ここで言っておきたい。
2019年6月にラウンチされた僕の駐在ブログ「備忘録」。
自分のブログの名前を決める大事な瞬間で迷った。
そうだ・・・・
語呂合せ的にもなんとなくしっくりくる・・・・あれを参考にしようかな・・・
はい・・・・
そう・・・・
この「備忘録」というブログの心臓となる肝心の名前は、
この三浦先生のブログ「迷走録」から、
完全に雰囲気パクってます。
すいません・・・・先生・・・・