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備忘録

Africa Indianlife

856回目:ケニアのS姉妹

2023年07月03日の備忘録

ケニアで働く日本人

ここでは、ケニアで出会った日本人のS姉妹に関して触れておきたいと思う。

今回の出張で調査するべきことを一通り終え、最後の一日がフリータイムとなったので、取り敢えずナイロビ国立公園のサファリへ向かった。さすがにそれだけではちょっと時間がもったいないと思い、同行するケニア通のT氏の紹介で、「ケニアで実際住んでいる日本人」へ会いに行くことにした。その名も「S姉妹」だ。突然のアポイントにも関わらず我々を受け入れてくれた彼女たちは、7年前からるケニアに移り住み、ナイロビでフラワーアレンジメントの教室を開いたり、日本へ向けたケニアの雑貨の輸出をビジネスとして行っている姉妹だ。

「なんでケニアに移り住んだのですか・・・?」

と単刀直入に聞いてみたところ、元々彼女たちは昔、日本の相模原で雑貨関係の仕事をしており、日本のアフリカ系雑貨の買付としてケニアを幾度となく訪問していたので、ケニアにはご縁があったらしい。

現在の彼女たちのビジネスは、ナイロビの一角に雑貨屋をオープンさせ、そこでフラワーアレンジメントの教室を行う傍ら、ケニアの農家のおばちゃんたちが作った雑貨を販売したり、日本へ輸出したりしている。

元々、フラワーアレンジメントの教室も日本人向けに開始したようだが、実際現在教室に来ている生徒の9割以上は「日本人以外の外国人」のようだ。ナイロビには、日本からの海外駐在員を含め500日人程しかいない。しかし、HUAWAI(中国)やSAMSUNG(韓国)がナイロビに進出、また、ナイロビの現地ケニア人も起業家などが増えて、「お花にお金を使えるケニア人」も増えたことも要因だ。

文化の違い

すごい面白いお話も聞いた。それは文化の違いならではのお話。

日本でいうと「フラワーアレンジメント教室」ってのは、週ごとに、もしくは、月ごとに決まった日に開催され、生徒さんたちはその時間に教室に来るものだが、ケニアではそもそも皆時間を守らない。なので、「決まった時間や日程」で教室を開催することが難しいらしい。確かに、ケニアでアポイントを取って商談に向かうと、ケニア人からは「日本人は時間を守らない」と思われている。その理由は、日本人は、「アポイントの時間より早く来るから」とのことだ(笑)。そんな文化の違いから、フラワーアレンジメント教室は、インスラグラムでゲリラ的に告知され生徒さんを募っているとのことだ。

文化の違いってのは本当に面白い。

日本のアパレル品質管理体制と実態の違い

また、ケニアの雑貨を作って日本へ出荷するときにも、大きなハードルがあるという。それは、アフリカの雑貨を仕入れる日本のアパレル企業と、実際生産するアフリカの生産者側のギャップだ。

日本のアパレル企業は、最終消費者からのクレームや自社ブランドのブランド低下の恐怖、また、アパレル産業の競争の激化により、品質管理面が異常とも言えるほど年々厳しくなっている。企業によっては、ほぼ日本のアパレル企業の生産管理チェックを行う人々は、実際海外で生産されている現場を見たことがなく、その企業の独自のマニュアルに従ってチェックをしたり、上司に言われるがままチェックをしているわけで、そのチェック項目や指示が、実際のものづくりの現実と、実際ちゃんとマッチしているかと言われるとそうでもない。

ましてや、今の日本のアパレル市場の生産ものづくりは、「それを暗黙の了解で理解してくれている”日本語ペラペラの中国の生産者”」のお陰で成立しているようなものだ。「楽」を見つけてしまったら、その楽から抜け出すことが出来ず、逆に、自分の能力が低下するのが人間の本質だ。一度楽を覚えたら、もうそれ以上に難しいことはできなくなる。だから、「こちらの意図を理解する、日本語を話せる中国人」に頼るしか無いのだ。言語的にも障害がある。英語を話せる日本人は、人口の約5%。だから、日本のアパレル産業は「脱中国」と言っても、”多分なかなかシフトしないだろう”と私は思っている。中国に頼るしか無いようにさせた中国の完全勝利だ。これが、今の日本のアパレル産業構造。結果、その「楽」を覚えた日本人は、”生産背景を理解せずに、製造背景とマッチしない指示をする”という現象が起きる。もういっちょ厳しい現実を言うと、「日本人はその現実すら自覚していない」ってことが最も恐ろしい。

上記は、私が昔、アパレル製品の貿易をしていた頃、サプライチェーン全体を通じて感じた構想で、日本のアパレル産業の問題でもあると感じたことだ。

ケニアのおばちゃんの職人芸

S姉妹も、ここまで痛烈に産業構造に物申しているわけではないが、それでも、日本の要求とケニアの生産現場のギャップに悩まされているようだった。

日本のアフリカン雑貨屋へ輸出されるべく作られているバックは、アフリカの奥地の村のおばちゃんたちが、内職みたいな感じで手編みで作っている。

このバックのサイズや、手編みで浮き上がる模様は、すべて「おばちゃんの手の感覚」で生まれてくるもので、そこには「メジャーで測ってバックのサイズを均一にする」ことや、「日本からの指示に従って既存のものを変更する」ことが難しいらしい。バックの形も、バックの柄も、昔からその民族の村で作ってきたおばちゃんの脳内にインプットされているもので、設計図なんてあるわけでもなく、おばちゃんたちは、手に馴染んだやり方でバックを完成させていく訳だから当然だ(製造工程も動画では拝見した)。なので、日本からの厳しい「修正」や、サイズの「変更」、更には、日本からの指示に従って「デザインを変更する」なんてことは、到底、「概念としても無い」に等しいようだ。それでいて、価格も低くリクエストが来るわけで、その日本の現実にそぐわない商習慣に苦戦しているようにも見受けられた。更に、このようなアフリカのおばちゃんたちが作るバックは、職人芸である一方、後継者が中々居ない問題点も抱えている。

「一点もの」「皆違って皆良い」「これが商品の良さ」

”工芸品の湯のみ茶碗の柄模様が一個一個違うのは当たり前だろ・・・”という感覚に近い。だから、「逆に、ケニアにいるから、今私が安く手に入るとても貴重なもの」ということが非常に理解できた。

お土産を買って帰る

先ほども書いたが、私は日本にいる際には、アパレル産業の貿易を取り扱う部署にいたので、S姉妹が言っていることは、非常に理解が出来た。

もちろん、これらの商品自体は、とても可愛い良いものに見えたってのは言うまでもないが、異なる商習慣の中戦っている彼女たちに対する親近感から、「何かこの店に協力してあげたい」という気持ちが湧いてきた。そして、「ここで売っているものは、多分、色んな意味で価値がある」と感じた私は、日本の家族と中国の妻にお土産を買ってあげることにした。

一つのバックは、現地ケニアのショップ価格で、日本円にして一個約3000円から5000円。そして、現地ショップ価格が3000~5000円ってことは、貿易をしている私の感覚からすると、おそらく日本で売られていたら2-3倍の価格になっているだろうと予測できる。ちょうど、8月には日本の実家に帰るので、「商品自体の外見上の良さ」だけでなく、隠れている「商品の価値やストーリー性」も、お土産を渡すのと一緒に山形の実家や中国の妻にしてあげたいものだ。

最後に、S姉妹とは2時間程喋りナイロビを後にした。また、次回ナイロビに来た際には、色々現地の事情をお伺いしたいものだ。非常に良い出会いをしたと思う。

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